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友達の旅立ちに寄せて

去る5/4、学生時代、学生寮で苦楽を共にした友達の訃報が飛び込んできた。

すぐには信じられなかった。
人一倍健康に気を遣っていた彼女。

たまに目にするブログやSNSで気になる投稿はあったものの、
とても前向きに捉えられる「事後報告」として綴られていたので、すっかり安心してしまっていた。
周りも皆、そうだったと思う。

最後のブログへの投稿は、
今となっては、
余命を感じつつある中で、
残された者へのメッセージを綴ったと取れなくもなく、
でも正に
「今となっては」で、、、
そのブログを読んだ当初は
彼女の心の声には気づけなかっただろうと思う。

ふと、良く思い返してみると、
辛い時ほど気丈に振る舞い、
笑う子だった。

前向きな投稿ほど、
悲鳴に近い彼女の叫びが綴られていたかと思うと切ない。


SNSでは繋がっていたけれど、
リアルライフ?では十数年前に会ったのが最後で、
なんとなくSNSの静かな闇を感じずには居れないけれど、

生前、本当の心の叫びを共有できる場所が少しでもあったと思いたい。


さて、これから書くことは、
今日の葬儀への参列に際して、私が初めて味わった事で、
もしも宗教感の違いなどで不快に感じる方がいたら、是非とも読み飛ばして頂き、

「こんな風に感じる人も居るんだな」と軽く流して頂けたらと思います。

亡くなった方への思いが断ち切れない人は、
もしかしたら、少し心が軽くなるかもしれない、と思い、
私の得た経験をシェアさせて頂きたいと思います。


お葬式と言うと、無知な私としては、

「亡くなった方に会える最後のチャンス」と言うくらいの認識しかなく、

その方が亡くなった事をきちんと自分でも受け留められるように、最後のご挨拶をするつもりで参列していました。

今回の訃報を受け、
山梨での通夜と葬儀だった為、
仕事で通夜は行けず葬儀に参列する事にしました。


驚いたのは、
私の中の常識であった、
通夜、告別式(葬儀)、火葬の順番が、


火葬、通夜、告別式(葬儀)であった事。
通夜の前に書類をもらいわかりました。

地域性なのでしょうか?
それとも、GW中に亡くなったので、
そのような形になったのでしょうか?
今のところ謎のままです。


葬儀に参列すれば故人に会うことが出来ると思っていた私は、正直なところ、
「え?!じゃ、行っても、、(意味ないかな?)顔が見れるうちに行くべきだった!」と、

「会える」事が目的だったので、恥ずかしながら、そう思ってしまいました。

しかし、
元気で溌剌としていた頃の彼女の遺影に会いたい気持ちもあり、
今朝、家を出ました。


お葬式と言うと、
何処か厳かで、
張りつめたものがあるイメージでしたが、



受付を済ませて会場へ向かうと、
なんとも開放的な雰囲気で、
入り口に、
まるでウエディング会場のようなデコレーションをされた彼女の遺影が。

とてもとても懐かしい笑顔、ステキな写真でした。
が、
なんとも明るい雰囲気にちょっぴり違和感。

会葬もとてもカジュアルな雰囲気で、
来た人から順々に、
「よっ!」って挨拶するみたいな雰囲気のご焼香。(ボキャブラリー少なくてすみません)

実際、
焼香に来た参列者が焼香を終えたその足で、親族席にずいっと入って行って、
喪主である彼女のご主人の肩をポンポンして、声をかけていく、、なんてのも何回か見ました。


お経が読まれる中、
開放された広い空間を子供が飛び回り、
人の出入りも自由。

なんとも不思議な空間のように思えました。

ひとしきりお経を読み終えた若い和尚さんが、
説法(と言うのでしょうか)を
語り始めました。


「お経の中にどんなことが唱えられているのか?
それは、
故人の次の世への旅立ちに際し、

・その旅のルールと
・どんな気持ちで旅に出るべきなのか、

を説き、
しっかりと旅立つ宣誓を、
本来なら本人がすべき所、
故人にはそれが出来ないので、
私が代わりに読み上げているのです」

途中大声で「喝!!」と叫ばれたのには
かなり仰天しましたが(@_@)

旅立ちに際し、背中を押すというか
気合いを入れる為で、
来世への旅へ向け、「しっかり!!」「気合いだー!」的な後押しの為の喝!なのだと説明してくれました。

途中故人のためだけに、詠んだ歌のような部分があり、
正しくは聞き取れませんでしが、

故人(私の友達)が、若くしてあまりにも急にスッと目の前から消えてしまったので、

それを、
目の前をスッと流れて行ってしまう川を流れる水に例え、

水はいずれ海へと流れ、
海へ流れ込んだ川の水はやがて気化し空へ昇り、
雨となってまた地に降り注ぐ、

そして、また、
曇って月の見えない日でも、
見えなくてもいつも空に在り続ける月のように、
私達の側に故人は在り続ける、


と言う、そんな意味の歌をお経に盛り込んでいたのだという、
なんとも、こんな私にも分かり易いお話でした。

自然のものや、月、宇宙などの話が好きだった友達、
ひょっとして、和尚さん、
戒名をつける過程で、
彼女のブログを参考にしたりしてません?って思ったりしました笑

水や月へと化身して私達の側に在り続けると言うのが、
小さな子供を残して亡くなった友人が、
叶うならそうしたいと願った事のように思えて、
どうしようもなく切なく泣けて来ましたが、
でも暖かい気持ちにもなりました。


訃報をうけ、ここまで来て初めて、
彼女の死をやっと受け入れる事が出来た気がしました。

彼女の無念さや、
今世での役目を終え、もう彼女には会うことは叶わない事、

もちろんその悲しさは簡単には消えないけれど、
新しい旅の門出なのであれば、
それを受け入れてしっかりと見届けて、
送り出してあげたいな、というような、

そんな気持ちになったのです。

お葬式とは、
亡くなった方の新たな世への旅立ちの為のセレモニーなんだと、

私は、今それに立ち会っているんだと、

そんな風に、初めて思いました。

今まで、
「死を悼む儀式」だとばかり思っていました。


旅立ちのセレモニーであれば、
入り口の可憐なデコレーションの遺影も、
子供達で賑わった開放感のある雰囲気も

全て納得です。


旅立ちを見届けるのと同時に、
残された者はいやでもケジメをつけなくてはなりません。
前に進まなくてはいけません。

お葬式って、
故人の旅立ちと、
残された人の心の整理の為の、
その為のセレモニーだったんだ。

と、

本当にじんわりと、身をもって実感したのです。

親しかった友人の死だったからなのかな、、、、

和尚さんの易しい解説付きだったこともありますが!

結婚式も、
人生のケジメと、
2人でやっていく!という宣誓、ですよね。

お葬式と結婚式、、真逆のようで、
実は同じカテゴリー?みたいな。

なんだか、
立っている位置が少し変わって目に映る景色が違って見えるような、
そんな体験でした。


もちろん宗教によって、色んな考え方もあると思うけど、、、、


あくまで私の一個人の感想というか、
体験談として受け止めて頂けたら幸いです。


悲しいきっかけだったけど
数十年ぶりに寮生でまたコンタクトが取れ、また集まろうと言う話になり、

「いいな〜」と、彼女がいつものあの顔で言っている姿が目に浮かびます。

ありがとうね、
お疲れさま。
旅支度しっかりね!次の世では長生きするんだよ!
行ってらっしゃい!!

2018.5.7
旅立ちに寄せて

Eat, Sleep & Jazz a little.

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